なぜ、子供が自然に畏敬の念をもつような絵本を作りたいのか②〜母の否定〜

雨が降れば雨の妖精を想像し、風が吹けば風の妖精が現れるのを待ち、雪が降れば雪の妖精を探す。

私の幼少期は、常にファンタジーと一緒にありました。祖父母の家に行ったら、よく妹と一緒にトトロを探したりもしていました。ファンタジーと呼ばれる世界は、私にとって、存在して当然の世界でした。物心ついた頃から妖精やファンタジーが好きで、それらがないことを想像したことなどありません。

 

しかし、母はそうではなかったのです。母は、ファンタジーの世界を好きではなかった。私にとっての常識は、母にとっての非常識。最初、私はそのことにきづきませんでした。なので、よくファンタジーのことを母に話していましたが、話すごとに「そんな暇があったら勉強しなさい」「今するべきことじゃないでしょ」と、否定するように、私の話を遮るようになりました。

 

私はだんだんファンタジーのことは口に出さなくなり、自分の中だけに閉じ込めておくようになりました。ひとりでずっと本を読んでいるようになりました。そして気がつくと、私には友達と呼べる存在がひとりもいなかったのです。周りの子たちとの違いに私は急に不安を感じ、おそるおそる母に相談しました。

「ママ、私、友だちがいないの・・」

「どうして友だちがいないの?」

「・・・わからない」「じゃあ1週間に何回くらい友達と外であそんでいるの?」

私はその問いに驚きました。なぜなら私にとって休み時間とは本を読むためだけの時間であって、外で遊ぶことはおろか、誰かと遊ぶなど論外だったからです。しかし一度も遊んだことがない、と言うと母に怒られると思った私はサバを読み、「1年に2回くらい・・・」と答えました。

しかし、0回も2回も同じこと。標準的な子どもを望んでいた母にとって、かなりの衝撃だったようです。そのため、私が本を読むことを禁止しました。

 

その頃は私のいろいろな面を叱り否定していた母でしたが、私にとって大きな支えであった妖精の世界の入り口である本を読むことを否定されたことは、私の中でも深い悲しみとなりました。